焦点のその先に

BEYOND FOCUS

今動物愛護の世界では「殺処分ゼロ」に大きな焦点が当てられています。
確かに何の罪も無い犬や猫たちが「殺される」のですから、そこに多くの人の関心が集まるのは至極当然の事です。
しかし、私たちは冷静に考えなくてはいけないと思います。

「殺処分」は犬や猫たちが苦しんでいる「原因」ではなく、「結果」だと云う事をきちんと認識する事が、犬と猫たちが幸せに暮らせる社会を実現する為には必要だと思うのです。
今の「殺処分ゼロ」の流れを考えると、保護団体が殺処分対象の動物を行政施設から引き出して「ゼロ」にする形が主流となっています。
広島県、神奈川県が「ゼロ」で有名ですが、広島は大きな資金力での全頭引き出し、神奈川県ではボランティア頼みが現状です。

「ゼロ」と云う「結果」のみを見ている多くの人々がこのいびつな「ゼロ」を作り出し、ボランティアの人たちに過大な負担を強いている結果になっていて、ボランティアのみなさんの悲鳴が聞こえて来ています。
ある意味、今の「ゼロ」は「結果」だけを優先し、本当に解決すべき「原因」は何も変わっていないのではないでしょうか?
「ゼロ」の広島県では10年ぶりに飼い主の持ち込みが増加し、「ゼロ」の神奈川県ではボランティアへの負担が限界に達しようとしています。

でも多くの人々にとっては「ゼロ」と云う「結果」は称賛の対象となり、それが更なる「ゼロの弊害」を生みだしているのが現状です。
弊害とは動物保護ビジネスとゼロと云う数字の陰に隠れようとする生体小売り業界。

弊害を生んでいるのは「結果」である「殺処分ゼロ」にばかり焦点が当てられているからではないでしょうか?

「結果」である「殺処分ゼロ」にばかり焦点を当てている事は、「ゼロの弊害」を生みだすだけではありません。

「殺処分」と云う残酷な言葉は一般の人たちには大きなハードルとして立ちはだかります。
「私には何も出来ない」「保護する事も、里親にもなれないから」
そんな言葉をよく聞くのは、今の動物愛護の世界全体が「結果」である「殺処分」に焦点が当てられすぎているからだと思います。

本来解決すべきは「原因」である事は当たり前の事で、その「原因」は多岐に渡ります。
それは「飼い主の意識」「生体小売業のあり方」「ペットと暮らす環境の不整備」「法律の不備」「弱者に厳しい社会」などです。
犬や猫たちを苦しめている「原因」は動物を取り巻く問題だけではなく、人間社会の問題も含めた多くの問題であり、それは本当に多岐に渡るのです。

多岐にわたると云う事は、逆に考えればそれだけ多くの人たちが「原因」を取り除く為の行動を取る事が出来る可能性があると云う事です。

「飼い主の意識」を変える為には啓発や教育が必要で、トレーナーさん、獣医師さん、トリマーの皆さんや、学校の先生も、音楽家や写真家やイラストレーターのみなさんも、もちろん母親や父親も行動出来ます。
「生体小売業のあり方」に対しては不買運動なら誰にでも出来るだろうし、大量消費社会に対して疑問を持つ多くの人たちも巻き込む事が可能でしょう。
「ペットと暮らす環境の不整備」を改善するのは経済活動であろうし、「法律の不備」を是正するには署名活動、ロビー活動、政治家の力も必要です。

「弱者に厳しい社会」を変えようと活動している人たちと動物愛護の共通点は多く、連携する事で動物愛護の世界は拡がり、それは現在の動物愛護活動が社会福祉活動へと昇華して行く事にも繋がるのかも知れません。

「原因」に「焦点」を当てれば、多くの人たちに出来る事がたくさんあるのに、「殺処分ゼロ」にばかり「焦点」を当てる事が動物愛護の世界の拡がりを阻害しています。

HUGは今のまま、動物愛護の世界が、動物たちの問題の「結果」である「殺処分」や「殺処分ゼロ」にばかり焦点を当て続けていれば「ゼロの弊害」は更に大きくなり、愛護活動自体が、活動する人々全てが求めている筈の「犬と猫たちの幸せ」からどんどん乖離して行く危険性を感じています。

焦点のその先に何があるのか?

そこには本当に犬と猫たちの幸せがあるのか?

動物愛護は命の問題で、命がけなのは活動している人間たちではなく、動物たちです。

だから動物愛護に感情は不要。

感情は冷静な判断を曇らせてしまうから。

動物愛護に必要なのは愛情と冷静さです。


he essence and destruction of pet disaster prevention

ペット防災の本質と殺処分

災害時のペット防災、同行避難に関して今多くの情報が発信されていて、ペット災害危機管理士と云う資格もあります。
地震だけではなく、豪雨災害も多い私たちの国では災害の度にペットの取り扱いが問題となり、同行避難が原因となるトラブルも毎回の様に起きているのが現状です。
それに対応する為に多くの情報が発信され、同行避難支援の為に資格を取る人たちが増える事はとても良い傾向だと思います。

ただ、私たちが理解しておかなければならないのはペット防災の本質は災害時の対応ではないと云う事です。
ペットの為の防災グッズの準備も、同行避難支援も、一時預かり場所の確保も、同行避難専用避難所の設置も、それら全ては災害時の混乱を減らす対処療法であって、問題を本質から改善する為の対策ではない事を認識しておく必要があります。

災害時の為に備えておく事も、勿論大切な事です。

先ずは国と地元自治体の「同行避難ガイドライン」を知る事です。
災害時の同行避難は「飼い主の自己責任」が基本である事。
指定避難所のペットの受け入れ体制の事前確認。
それを知っていれば自ずとどんな行動を取るべきかがわかり、いくつかの選択肢を準備しておく事が可能となります。
熊本地震ではガイドラインを知らない飼い主がほとんどで、避難所に連れて行けないと思っていた飼い主が避難所に犬がいるのを見て、また家に帰り、飼い犬を連れて来た例がありました。
これは「二次災害」の危険があり、ガイドラインの考え方の「人命を守る為にもペットを連れて同行避難する」とは正反対です。

しつけ、社会化、ワクチン接種。
それをやっておかなければ「預かり施設」や「預かり場所」が避難所内外に開設されたとしても預ける事は難しいでしょう。

愛護団体によるフード支援は発災から一週間もせずに届きますが、それまでのフードや水や薬の備蓄は当然必要な事です。
これらの対策は「災害時の同行避難」を成功させる為の対策です。
でも、これらの対策はあくまでも「対処療法的」な対策なのです。

では災害時の同行避難への本質的な対策とは何なのか?

それは飼い主が普段から飼育マナーと他者への配慮に気を配る事、そして飼い主とペットが普段から地域社会の一員となっておく事に他なりません。

想像してください、災害時、避難所へ逃げ込む人たちがどれだけ大きなストレス下にあるのかを?
もしかしたら家族の誰かを無くし、もしかしたら帰るべき家が全壊し、どちらにしても一瞬にしていつもの日常を奪われた状況下にあるのです。

想像してください、その中に「ノーリードの犬に追いかけられて怖い思いをした事がある人」や、「大切に育てた植木を外飼いの飼い猫に荒らされた人」や、「一晩中吠える隣の犬の声で眠れない夜を過ごした人」や、「散歩の途中に放置された犬の糞を踏んだ経験がある人」がいたとしたら?

日常の中で、飼い主がマナーや他者への配慮を怠った為に「犬猫嫌い」になった人たちが、今までに経験した事がない大きなストレスに晒されていて、そこに犬と猫がいたら?
犬が「ワン」と吠え、猫が走り回ったらどう感じるか?

どんなにガイドラインを熟知していたとしても、いくらしつけや社会化が出来ていても、ペット防災グッズをどれだけ準備していても、そんな状況で同行避難が成功する訳がありません。

犬猫嫌いの人たちを作り出すのは犬と猫たちではありません。
マナーと配慮を怠った飼い主が作り出すのです。

「人と動物たちが共生する社会」
よく使われる言葉ですが、その本当の意味は「飼い主とそれ以外の人たちが共生する社会」です。

もし、普段から飼い主がマナーと他者への配慮を怠らず、ペットと共に地域社会の一員になっていれば、災害時の同行避難はもっとうまく行く事でしょう。

しっかりとガイドラインを認識し、適正飼養に努め、防災グッズの備えも怠らず、普段から自分もペットも地域社会の一員になっていたとしたら?

熊本地震で地域社会の人たち同士の支え合う姿を間近に見た私はこんな希望的観測を持っています。

もし普段から「飼い主とそれ以外の人たちが共生する社会」が地域で実現していれば、この国では災害時に「大丈夫?ワンちゃんは無事?」「避難所に行こう、ワンちゃんはわたしが連れて行こうか?」そう言ってくれる近所の人たちがいる、そう思っています。

ペット防災の本質。
それは普段からの適正飼養と飼い主とペットが共に地域社会の一員になる事です。
「飼い主とそれ以外の人たちが共生する社会」を作る事。
それは災害時の同行避難を成功させる事に繋がるだけではなく、当然殺処分を無くす事にも繋がる事なのです。

朝から犬と散歩する時に、すれ違う地域の人たちに明るく笑顔で挨拶をする事。

ペット防災の本質はそこにあるのだと思います。


広域譲渡、適正譲渡、地域密着

Wide area assignment, proper assignment, community closeness

譲渡拡大は必要な事です。
SNSはそれに大きな貢献を果たした側面もあります。
でもSNSによる民間団体からの「広域譲渡」には大きな危険性と、団体の責任が伴う事をしっかりと認識するべきです。

環境省の「適正譲渡における飼い主教育」には「保護動物と飼い主になろうとする人とのマッチング」、譲渡の際、保護動物を見る前に「譲渡前講習会」を行う事が重要なポイントの一つとして挙げられています。

「マッチング」はリターン、飼育放棄、遺棄、不適正飼養者の拡大につながる事を防ぐ為には重要な事で、里親希望者のライフスタイルや生活環境によっては「飼いたい犬が飼える犬」とは限らないからです。

流行犬種が欲しいとプードルを希望する家庭に譲渡したが、トリミングにこんなにお金がかかると思わなかった、これ以上飼うのが難しいと相談。
「病気があってもかわいそうな犬を救いたい」と希望する主婦に老犬を譲渡したところ、病気の治療に多額の費用がかかって家庭内で問題が発生し夫からセンターに戻すよう言われている。
例え「広域譲渡」でなくともそんな実例があるのです。

保護動物を見る前に「譲渡前講習会」を行う事は「鉄則」とされていて、実際に譲渡候補動物に会ったり、触れ合ったりしてしま うと、目の前のかわいらしさに夢中になって冷静に飼え るかどうかの判断が出来なくなるのが理由とされています。
これも適正なマッチングに影響を及ぼすからです。

SNSを通じた「広域譲渡」ではこれらの事を厳格に行うのは難しい事です。

確かにSNSでの譲渡拡大により、殺処分は減ったでしょう。

「じゃあどうするんだ、そのまま処分されてもいいのか?」
そんな意見も多いでしょう。

でも、適正な譲渡が行わなければ、リターン、飼育放棄、遺棄、不適正飼養者の拡大につながる可能性が高くなります。
実際に譲渡直後の脱走は後を絶たず、SNSで「助けてください、命を繋いでください」と叫ぶ人々の内どれだけの人々がその後を知っているのでしょう。
保護団体のフォローも「広域譲渡」では難しく、譲渡後脱走した犬の情報をHPに上げない保護団体も実際にいました。

また、もし適正に、マッチングを行っていれば、流行犬種が欲しいとプードルを希望した家庭や、「病気があってもかわいそうな犬を救いたい」と希望する主婦に適正な譲渡が出来て、命を救えた可能性がある事を忘れてはいけません。

これらの事を総合的に考えれば、「譲渡」を含めた動物保護活動は「広域」ではなく、「地域密着」であるべきだとHUGは考えます。

地域と密着する事で、顔を合わせた適正な譲渡を行い、幸せになった命を地域のボランティア、市民が見守り続ける事は動物愛護意識がその地域に拡がり、根付いて行く事にも繋がると思います。

今のSNSでの「譲渡拡大」は「ゼロ」の弊害の一つだと感じています。

「ゼロ」に追われた「譲渡拡大」がもし、リターン、飼育放棄、遺棄、不適正飼養者の拡大を招いているのであれば、それは「悲しむ命ゼロ」とは正反対の方向です。

命の期限に対して、SNSを見ているだけで過剰な反応をする一般の人たち。
マッチング、適正譲渡よりも、引き出す事に価値を見いだす保護団体。

確かに目の前の命。

目の前にいる命を助けたい故の行動でしょう。

でも、命の期限から救う事のみが優先される結果、リターン、飼育放棄、遺棄、また不適正な飼い主を増やしていてはいつまでも悲しむ命が目の前に居続けるのです。

例え、リターン、飼育放棄、遺棄から再び保護したとしても、たらい回しにされる命が本当に幸せなのでしょうか?

今「ゼロ」が犬や猫たちを追い込もうとしています。

私たちは立ち止まる必要があります。

私たちの望みは何なのか?

犬と猫たちの幸せとは何なのか?

いつまでも保護譲渡を続けて行くつもりなのか?

このまま「ゼロ」に追われて進めば、「ゼロ」が「善意と云う名を纏った新たなペットショップ」を作り出す事になりかねません。


譲渡拡大、逆行する動物愛護、ゼロの弊害

Expansion of transfer, retrograde animal welfare, evils of zero

動物愛護の本質は「犬と猫たちが幸せに暮らせる事」です。
今殺処分ゼロを望む人々もそう願っているはずです。
では「犬と猫たちが幸せに暮らせる社会」とはどんな社会でしょうか?

それは今の社会を見れば自ずとわかります。
今、犬と猫たちが苦しんでいる大きな要因は「飼い主の意識の低さ」です。

それは飼い犬飼い猫が適正に飼育されていないから苦しんでいるだけではありません。
生体販売の裏にあるパピーミルや流通の問題も根本は同じで、「飼い主になろうとする人」の意識が低すぎる事が今のペット業界の酷い大量販売のビジネスモデルを温存し続けているのです。
また、そんな「飼い主たち」の命と暮らす事に対する意識の低さが安易な飼育放棄や、過剰な繁殖を生みだし、殺処分の大きな原因ともなっています。

つまり、「犬と猫たちが幸せに暮らせる社会」を実現する為には、「飼い主」また「飼い主となろうとする人たち」が命と共に暮らす事には大きな責任が伴う事を認識する事が必要なのです。

熊本地震で被災した飼い主さんが避難所で私にこう仰いました。
「ふじおかさん、地震が起きるまでは、犬や猫と暮らすって事がこんなに大変な事って思っていなかったよ」

その通りです。犬や猫たちと暮らす事は災害時だけではなく、平常時でも「大変」な事なのです。

そして、その意識が今の「飼い主」「飼い主になろうとする人」には欠落しているのです。
当たり前じゃないですか?

犬も猫も生きています。
病気はするし、老いて行く。飼育するには費用も時間もかかるし、飼い主は犬や猫たちの知識を学ぶ必要もあります。
飼育環境を整える事、他者への配慮やマナーも適正飼養の条件です。
本当に「犬と猫たちが幸せに暮らせる社会」を望むのであれば、「飼い主」になる人たちにその覚悟と資格がなければいけないのです。
その覚悟と資格がなければ「飼い主」になってはいけないのです。

今、殺処分ゼロを目指すと言って、多くの人たちが「譲渡拡大」を叫んでいます。
今これだけ、覚悟も資格もない「飼い主たち」が溢れていて、それが殺処分の要因でもあるのに、本当に「譲渡拡大」が「犬や猫たちが幸せに暮らせる社会」の実現に繋がるのでしょうか?

センターや保護団体から譲渡を受ける「飼い主になろうとする人たち」は命と暮らす覚悟と資格が本当にある人たちばかりなのでしょうか?

本来、犬や猫たちと暮らす覚悟や資格を厳格に考えるのであれば、「飼い主」は減るべきです。

殺処分ゼロを目指す為に譲渡拡大し、新たな「飼い主」を安易に作り出す事は、動物愛護の本来の目的と逆行しているかのように思えてなりません。

動物愛護の本来の目的である「犬と猫たちが幸せに暮らせる社会」を作り上げる為には現状では「飼い主」は減るべきです。

HUGが目指す「悲しむ命がない世界」はノーキルの世界です。

でも、本質から離れて、安易なノーキル、安易な殺処分ゼロを目指す事では「悲しむ命がない世界」を実現出来ません。

そうであるならば、HUGはローキルを経て、ノーキルを実現するべきだと考えています。

当然「飼い主」を減らす事だけではなく、生体小売業の規制と不妊去勢の徹底によるバースコントロールは同時にやるべき最低条件です。

どちらにしても、殺処分ゼロは「犬と猫たちが幸せに暮らせる社会」を実現する為の方策ではない事だけは確かで、ゼロの弊害によって、動物愛護の本来の目的が見失われつつある今の状況にHUGは危惧を抱いています。


アニマルウェルフェアに沿った殺処分ゼロ?

Disposal zero killing along the Animal Welfare?

ここ数年「アニマルウェルフェア」と云う言葉を動物愛護の世界でよく聞くようになりました。
別に新しい概念ではなく、以前からある「動物福祉」を言い換えたものです。

五つの自由

1.飢えと渇きからの自由(解放)
2.肉体的苦痛と不快からの自由(解放)
3.外傷や疾病からの自由(解放)
4.恐怖や不安からの自由(解放)
5.正常な行動を表現する自由 

これらの自由の確保、その自由を阻害する状況からの解放がアニマルウェルフェアに沿った状態と云う事です。(詳しくはネットで検索して調べてみてください)

もちろんアニマルウェルフェアの考え方はおかしな事ではなく、特に3の外傷や疾病からの解放と云う点に於いては、それらの苦痛からの解放と云う考え方の基の「安楽死」の選択については私たちHUGも否定はしません。

ただ本来は畜産動物に対する考え方であるアニマルウェルフェアが「殺処分ゼロ」と絡めて語られ始めた事に大きな「違和感」を抱いているのです。

今はアニマルウェルフェアに沿った安楽死も殺処分の数としてカウントされています。
環境省や自治体はそんな処分はきちんと分類をして、数としてカウントするべきではないと主張しています。

そして「1:譲渡することが適切でない」「2:分類1以外の処分」「3:引き取り後の死亡」の三つに分類すれば、28年度のデータで言えば5万7千頭余りだった殺処分数が、譲渡できた可能性が高く、最優先でゼロを目指すべき犬や猫(分類2)が殺処分された数は3万1079頭になり、この考え方に基づけば小池知事が「ペットの殺処分ゼロ」を掲げる東京都は犬は2016年度にゼロを達成し、猫は残り94匹となるんだそうです。

「あれ?ゼロは達成されてる?」

「違和感」ありませんか?

アニマルウェルフェアに沿った安楽死と云う言葉が出てきたおかげで「ゼロ」が達成し易くなっていませんか?

何か私たちが殺処分ゼロを願っている本来の理由から離れて行ってて、数字だけの話にすり替えられている感がありませんか?

私には大きな違和感があります。

もちろん「アニマルウェルフェアに沿った安楽死」にはきちんとした判定基準が設けられるでしょう。
でも、それを運用するのは「人」です。

保健所の獣医師が「老犬だから譲渡不可」と殺処分場に送った犬をボランティアが確認してみたらまだ5歳ほどの犬で譲渡されて今は幸せに暮らしている事例を知っています。

そんな事例は全国にたくさんある事でしょう。

つまり、どんなにきちんとした判断基準があっても、それを運用する人が「可能ならば出来るだけ譲渡して、犬や猫たちに幸せになって欲しい」と願うか、未だに以前の様に「処分」を当たり前だと考えているか、或いは市民や愛護団体の「ゼロ」へのプレッシャーに対して「数字さえゼロ」になればいいと考えるかでどうにでもなり得ると思うのです。

判定基準など一般の人たちにはわからないんですから「複数の獣医師が基準に沿って判断しました」そう言われれば、それまでです。

もし、その判断の根底に「愛」が無くとも。

笑われるかもしれませんが、私たちHUGはこの問題はそこに「愛」があるのか否かで大きく変わって来る問題だと思うのです。

でも、「違和感」の一番大きな要因は「アニマルウェルフェア」と云う言葉が「殺処分」と絡めて語られ出した事です。

しかも愛護団体が言い出した事です。

「アニマルウェルフェア」

1.飢えと渇きからの自由(解放)
2.肉体的苦痛と不快からの自由(解放)
3.外傷や疾病からの自由(解放)
4.恐怖や不安からの自由(解放)
5.正常な行動を表現する自由 

これをきちんと確保しなければいけない「業界」が存在していませんか?

「アニマルウェルフェア」を言うのであれば、殺す事や数字に関してではなく、先に救うべき犬と猫たちがいるでしょう?

みなさんには何故、「アニマルウェルフェア」と云う言葉が殺処分と絡めて使われ始め、国や自治体だけではなく、愛護団体も一緒になってそれを推進しているのかを考えて欲しいです。

苦しみ続けている犬や猫たちの存在には目を向けずに「虚構のゼロ」を作り出す可能性がある「アニマルウェルフェアに沿った殺処分ゼロを目指す」と云う方向性には私たちHUGは大きな「違和感」と同時に「危機感」を抱いています。

※写真は海外のパピーミルです。


保護譲渡の拡大と適正譲渡

Expansion of protection transfer and proper transfer

今までHUGは数多くの譲渡会を視察して来ました。

保健所、愛護センター、民間団体の譲渡会、数多くの譲渡会に参加しました。

その経験を基に、昨年の11月にはHUGが熊本県に提案し、熊本では初めて熊本県庁での譲渡会も開催されました。

県庁での開催を提案した理由はいくつかありました。
例えば愛護センターでは動物たちがたくさん収容されている事や、そこが殺処分を行う場所でもある事から、「迷惑施設」として扱われている側面もあり、どうしても交通アクセスが悪かったり、場所のイメージが良くなかったりで、県庁と云うアクセスも良く、イメージも明るい場所で開く事自体に意味があると考えたからです。
特に熊本県庁は緑豊かなロケーションで、センターや保健所で譲渡会を開くよりも動物たちの「表情」が違ってくるのは間違いがなく、それが譲渡率向上にも結びつくと思ったのです。

ただ、残念な事に、HUGが一番のポイントとして熊本県へ要望していた「定期的な開催」はまだ実現出来ていません。
譲渡率向上には譲渡会の回数が一番大事な事です。
本当は365日開催する事が理想です。
譲渡会のライバルは365日、いつでも開いているペットショップなのですから譲渡の機会を増やす事が譲渡の拡大の基本なのです。

もし、それが難しくとも、せめて「毎月第何日曜には県庁に行けば保護動物に会える」そう県民に意識付けする事が譲渡率向上にも、動物愛護意識の向上の為の啓発としても重要です。

「保護譲渡の拡大」は殺処分を無くす為には今必要な事です。
だから様々な形、いろんな場所での譲渡会の開催は今後も必要となります。

でも何かを「拡大」しようとして、物事の一面ばかりを見て、偏ってしまうと、それは必ず「本質」から離れてしまう傾向にある事を私たちは認識しなければいけません。
譲渡会の「本質」とは言うまでもなく、「適正譲渡」です。
事前講習会、家庭訪問、飼育環境の調査、不妊去勢、家族全員の同意と後見人、追跡調査とフォローアップ。

それらの事を置き去りにした「保護譲渡の拡大」はとてつもなく危険です。

SNSの普及によって、「広域譲渡」も増えていますが、譲渡直後の脱走も多く、先日は「広域譲渡」の末に新しい飼い主が譲渡された犬を保健所に持ち込み、殺処分された事例もありました。

「広域譲渡」であるならばより一層の厳しい条件を付ける事は当然だし、追跡調査とフォローアップ体制も通常の譲渡よりもしっかりとやらなければならないのは当たり前の事です。

また、通常の譲渡であっても、譲渡会の場で飼育環境の調査も家庭訪問もなく「お持ち帰り」させるなど言語道断です。

そんな譲渡はペットショップと何が違うのでしょうか?

「保護譲渡の拡大」はもちろん必要な事ですが、その目的を忘れてしまっては本末転倒です。

「保護譲渡の拡大」の目的は譲渡率を上げる事でもなく、殺処分数を減らす事でもありません。

「保護譲渡の拡大」の目的は「犬と猫たちの幸せを見つける事」であって、その為の条件が「適正譲渡」なのです。


熊本市動物愛護センターレポート 「ゼロは何処にあるのか?」

Kumamoto City Animal Care Center Report "Where is zero there?"

今日は熊本市動物愛護センターを訪問しました。
今まで幾度となく訪問し、センター長や職員さんから現場の状況や考え方を教わったり、情報交換、意見交換をさせて頂いています。
今日はセンター長へ先日の広島視察の報告、同じ協議会委員として熊本県の今後についての意見交換、そして熊本市のゼロに対する考え方、また熊本市の取り組みについて一時間ほどお話しをして来ました。
熊本市は昨年度犬の殺処分がゼロで、猫も傷病猫の安楽死処分が16頭でした。
熊本市は大きな団体が引き出しているのではなく、登録保護団体もいくつかありますが、ほぼセンターからの個人譲渡です。

「ゼロ」については「センターの中ではなく、センターの外の状況が変わる事が大切だ」そう仰っていました。
それは当然の事だと思います。

犬や猫たちと暮らす人たちが「適正飼養」する事。
「終生飼養」する事。
それに尽きます。

そうでなければ、どれだけセンターから保護して引き出して、新しい飼い主を探す努力を続けても、センターの外の飼い主の意識が変わらなければ、ずっとセンターに収容される犬と猫は存在し続けます。

保護譲渡の拡大で「ゼロ」を達成しても、その「ゼロ」はいつ崩壊するかわかりません。

迷子札100%運動と云う地道な迷子札の啓発で返還率が60%もある熊本市。

年間1万件もの飼育相談や苦情に対して年間1000件近く現場に職員を派遣して、適正飼養の啓発をしている熊本市。

譲渡の際は家庭訪問、事前講習、飼育環境調査、追跡調査までしている熊本市。

推進協議会と云う形でボランティアさんたちと協働している熊本市。

犬の殺処分ゼロの熊本市。

その熊本市でもセンター長が「いや、今年はわからないですよ、状況がどうなるか」いつもそう仰るんです。

それだけ、本当の「ゼロ」センターの外の飼い主や市民の意識向上による「ゼロ」は難しい事なんです。

だからこそ、目先の数字の「ゼロ」に囚われず、地道な具体的対策を淡々とやり続ける以外に本当の「ゼロ」への道はないのです。

本当の「ゼロ」はセンターの外にあるのです。

今日最後にミルクボランティアの話を伺った際にセンター長が「ミルクボランティアさんの所で預かってもらった猫と、センターで育った猫はなんか違うのよ、ミルクボランティアさんの所で預かってもらった猫は表情がなんかポワ~ンとしるのよね、おっとりって言うか、なんて言うか感じが少し違う。センターの職員も愛情込めてお世話しているんだけど、やっぱり家庭とは違うのかもね」そう仰いました。

センターは本当は彼らが居るべき場所ではないんです。

本当の「ゼロ」はセンターの外にあって、私たちは保護譲渡ばかりに目を向けるのではなく、彼らがセンターに入らない為には何をするべきなのかをもっと考えるべきなのです。

平成29年10月24日


広島レポート 「ゼロの責任」

Hiroshima Report "Responsibility of zero"

殺処分ゼロの地広島県へ行って来ました。
東広島市役所でペット防災セミナーを行った後、地元ボランティアのみなさんと一緒に広島県動物愛護センターを視察しました。
職員の方々と広島県の現状や熊本県の現状などをお話する事が出来て、有意義な意見交換が出来ました。
広島県では大きな保護団体による「全頭保護」によって「ゼロ」を実現してはいるものの、野犬問題や離島の問題などまだ解決しなければいけない課題が山積みで、職員の方々は各保健所やボランティアのみなさんと連携しながら地道に問題解決へむけて前進されていました。
その後センターの中をボランティアのみなさんと一緒に視察させて頂きました。
センター内部はとても清掃が行き届いている印象でした。
犬や猫たちも収容されていて、センターに収容されて全てを諦めたかの様な犬の表情、身を寄せ合う猫たちの姿、こちらに尻尾を振る犬の瞳を見ると、例え「ゼロ」であってもやはりセンターは彼らが居るべき場所ではない事を再認識しました。
そこに身を寄せ合い震える二頭の仔犬がいました。
セミナーでお世話になった東広島市の職員の方がセンターに来ていたので話を聞くと、東広島市で捕獲された野犬の仔犬と云う事でした。

視察は小学生の女の子も一緒でした。
ボランティアさんの娘さんです。
視察を終えてセンターの職員の方にお礼をしていた時に彼女が職員の方に「質問があるんですけど」そう言いました。
「殺処分ゼロになった前と後ではここに来る子は減ったんですか?」そんな質問でした。
職員の方の答えは「以前よりは減っています、ゼロとは関係なく、以前よりは」そんな答えだった様に記憶していますが、自分はその答えよりも、女の子の純粋な瞳がとても印象に残りました。

広島を視察して感じたのは「ゼロの責任」でした。

全国には広島県の他に熊本市や神奈川県など「殺処分ゼロ」を実現した自治体がいくつか存在します。

その「ゼロ」には責任が伴うと思います。
その「ゼロ」が犬と猫たちの本当の幸せを実現出来ているのか?

「保護や場所の移動」での「ゼロ」

センターの中にいた怯えた犬たちや、震える猫たちの姿はその形での「ゼロ」が犬と猫たちの本当の幸せとイコールでは無い事を表している様に思えました。

もちろん「ゼロ」自体は良い事に違いありません。

「ゼロ」自体は素晴らしい事です。

でもその「ゼロ」の形が犬と猫たちの本当の幸せとイコールでは無いのであれば、冷たいセンターの中に収容され続け、怯える犬や震える猫たちが存在し続ける「ゼロ」であるのならば、その「ゼロ」に対する責任があると思うのです。

愛護団体、行政、そしてその「ゼロ」を欲する人々が、その「ゼロ」の形が本当の犬や猫たちの幸せとは違う形である事をしっかりと認識する必要があると思うのです。
「ゼロだ、ゼロだ、達成だ、継続だ」そう叫ぶ事は間違いだと思います。
どんな形で「ゼロ」にするのか?それが大事な事だと思います。

少なくとも広島のセンター職員のみなさんはそれがわかっていました。

「ゼロの責任」

それは犬や猫たちへの責任でもあり、その地で育つ子供たちへの責任でもあります。

平成29年10月10日


4月に起きた熊本震災におけるペット「同行避難」。 震源地益城町、熊本市内他10数か所の状況を実際に確認し、多くの飼い主、行政の方々にインタビューした「同行避難」の検証レポートです。

Inspection report of "the company refuge"

震災直後益城町と熊本市内の多くの避難所では「室内同伴」の状態でした。避難所側も、飼い主側も「同行避難」に対する認識は不足していましたが、同行避難して来た避難者たちをペット同行だから断る事が出来る状況でもなかった事、社会化が出来ていない犬や大型犬を飼っている飼い主たちは自らの判断で車中泊やテント生活、また犬猫たちを自宅に置き同行避難しなかった事、それによって避難所には比較的社会化された小型犬たちが多かった事で震災直後の同行避難は比較的成功していた様に感じました。

各避難所の状況は、ペット同伴の人とそうでない人が混在した状態の避難所、学校の技術室にペットとその家族 たちは分離されていた避難所等、飼い主側や避難所運営側の努力によって「室内同伴」出来ていた状況でした。県や自治体からペット同伴者への対応の具体的な指示が出ていない状況の中で「室内同伴」出来ていた避難所もたくさんあったと言う事です。 

しかし、事前にペット同伴者とそうでない人たちとのスペース分離は考えられてはいませんでしたし、ペット同伴者が同行避難して来る事はわかっていたのに、実際にはその事で起きるトラブルやクレームは行政にとっては「想定外」の事の様な状態でした。 

現実をこの目で見て思うのは、災害直後はほぼ全ての避難所が「室内同伴」するべきで、「室内同伴」出来ない避難所をいくつか事前に指定するべきだと思います。そして「室内同伴」している間に動物問題に対する対策を取る。 

もちろん「室内同伴」を成功させる為には、飼い主とそうでない人たちとのスペースの分離は必要で、それは各避難所が事前に準備しておくべき事です。 

また今回、躾けや社会化が出来ていなかった犬たちの飼い主たちが車中泊やテント生活を送り、エコノミークラ ス症候群や熱中症による「人の命」の危機に瀕していた事が大きな問題となりましたが、それは飼い主の人たちが事前に準備しておくべき事で、災害時の避難所 と言う特殊な環境の中で躾けや社会化が出来ていない犬と「室内同伴避難」する事は非常に難しい事です。熊本震災を教訓として、犬の躾けや社会化が「災害という緊急時には人命にも影響する」と言う認識をするべきですし、行政側もそれを啓蒙するべきです。 

そして重要なのは、避難生活の「今後」を飼い主にも、そうでない人たちにも「明確」に「提示」する事です。 「室内同伴」出来る期間を両方に「明示」する事で避難所内で気を遣う飼い主たちも、犬や猫が避難所内にいる事で迷惑する人たちも「我慢」する事が可能にな り、クレームやトラブルの減少に繋がります。先行きが見えなければ例えそれが犬や猫がその原因ではなくともトラブルになり、飼い主も犬や猫も苦しむ事にな ります。先行きが見えなければそのストレスは弱い立場の人たち、動物たちへ向かうのです。 

益城町、熊本市、御船町、宇城市、その他多くの現場で行政や避難者の生の声を聞き、この目で現状を見て思うのは「ペットは家族なんだから何が何でも室内同伴させろ」と言う事は理想であるのかもしれないけど、現状からかい離し過ぎているし、実際に被災地熊本でそんな事を言っていた飼い主は皆無だったと思います。 

そして「いつも一緒にいる」事は「被災者」である飼い主にとってはマイナスの面もあります。「大切な家族」であるからこそペットたちが「被災者」である飼い主の行動を制限してしまい、二次被災の危険性が増したり、日常の生活を取り戻すのが遅れたりしてしまいます。 

実際に益城町わんにゃんハウスの飼い主さんたちは「最初は預ける事も不安だったけど、預けてよかった、家の 片付けや色々と動けた」「わんにゃんハウスに預けてから仕事に復帰出来た」と仰っています。災害時には飼い主がいる動物達の一時預かり施設は必要です。それは動物愛護であるとともに被災者支援でもあります。 

行政側、飼い主側が準備すべき事。 

今回熊本で示された様々な形の支援「益城町いぬネコ家族プロジェクト」の様な避難所併設の預かり施設、 「ピースウィンズジャパン」の同伴テント、「竜之介動物病院」や南阿蘇のペンションの様な民間の預かり施設、獣医師会や愛護センター、更に国。今回様々な人々が同行避難を成功させる為に動きました。被災した地元自治体がすぐに動物たちの問題で動く事は不可能です。全国の力を借りなければ即応出来ません。 

その為にも自治体は、日頃からこの様な民間団体や近隣の県の行政と連携を取り、事前協定を結ぶべきです。実際今回被災地熊本の民間も行政も被災して震災直後は動けませんでした。災害に対しては広域的な連携が必要です。 

協定以外にも自治体は、災害が起きれば必ず人と一緒に動物たちが避難して来て、その事がトラブルに繋がると言う認識の元に、事前に打てるだけの対策をしておく事です。各避難所の区域の動物の飼育頭数の把握、スペース分離の計画、住民への啓蒙活動、事前にやれる事はたくさんあります。災害時は動物の問題がすぐに人間の問題に繋がる事を認識し、動物愛護の観点だけではなく、被災者支援として考えるべきです。 

一方飼い主は、日頃からゲージに入れる様にして置く事、日頃の健康管理とその記録、しつけや社会化訓練、また一番大事な事は飼い主自身のマナーです。避難所で散歩させて糞の処理をやらなければ同行避難が成功する訳がありません。例えば人を見れば吠えまくる も、日常広い庭で飼われていればなんとかなっても、避難所や仮設ではそれが大きな問題となってしまいます。 

不妊去勢、ワクチン接種、そんな事も集団生活の中では問題になり、犬や猫だけではなく飼い主も困る事になるのです。 

今の社会が本当の意味で「人と動物が共生している社会」ならば同行避難も室内同伴も上手く行くのかも知れません。でも現実は全く違っていて、同行避難は必ずトラブルになってしまう社会です。

災害時の動物対策の大きな柱は特別な事ではなく、飼い主の人々の意識とマナーの向上と言う当たり前の事を地道に啓発する事です。